Symposium on Early Modern Japanese Values and Individuality (2013)

Language, spirits and cosmology in study of Kodo Endō, Jun, 1967- Aug 29, 2013

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古道の学びにおける言語、霊魂、コスモロジーー富士谷御杖の言霊説と神道説一遠藤潤(園畢院大畢)1.問題の所在18世紀後半から19世紀前半の古道の学びについて、これまで私は19世紀前半の平田篤胤(1776-1843)の思想・活動および篤胤没後の学塾気吹舎をとりまく宗教・政治活動について研究を進めてきた(遠藤潤2008、ほか)。今回のシンポジウムでのテーマ"Early Modem Japanese Values andIndividuality"、とりわけ18世紀後半以来の日本社会における個人という領域のあり方に注目して古道の学びを再検討するときに、重要な意味を持つ問題の一つに、神とことばの関係がある。古道の学びが活発化する一つの要因として、少なくとも篤胤においては対外危機を含む国家的な危機意識のもとで、神を基軸にした共同性の回復ないし構築があった。それは、残された古典の考証から「神代の事実」を明らかにするという学問的方向をとることとなり、テキストと事実を結ぶ言語のあり方についても、それぞれの学者が明示的に説明するということが少なくなかった。私はすでに『平田国学と近世社会』のなかで、神代を表象する言語が各学者によってどのような性格のものとしてとらえられているか、という問題意識のもとで、本居宣長、平田篤胤、富士谷御杖らの記紀解釈とそこでの言語観を素描したことがある。このときは「顕」と「幽」の解釈を焦点とした、部分的なものであったが、論者によって言語のとらえ方が根本的に異なることの一端が明らかになった。なかでも対照的だったのは、本居宣長と富士谷御杖である。宣長が『古事記』の記述を、神代のありのままの姿を示すことばであるととらえたのに対して、御杖は倒語論を唱えてことばの持つ屈折した性格こそを根本においた。今回の発表では、この御杖の所説に焦点を当て、彼が「言霊」の働きとして述べた一連の言語論が意味するところを、そこに含まれる神道説も重視しながら検討し、古道の学びにおいて孤立したものとして評価されることの多い御杖の説が、これまで評価されている以上に宣長の所説を意識したものであること、またその立論を通じて当該時期における「公」と「私」の緊張関係に対応しようとしたものであることを論じたい。2.富士谷御杖の略歴富士谷御杖は、江戸時代後期の国学者である。明和5(1768)年に、国語学者富士谷成章(1738-79)の長男として、京都で生まれた。儒学者皆川漠園(1734-1807)の甥にあたる。当初の名前は成寿だった。富士谷家は代々筑後柳川藩の京都藩邸の留守居役を務めていた。御杖は幼少から父である成章に歌道を学び、安永8(1779)年10月に成章が亡くなった後は、皆川漠園に儒学と歌学を学んだ。当初は成章の学を踏襲した歌学を展開していたが、寛政6(1794)年春頃、名を成元と改めたのち、歌1におけることばの性質倒語)と言霊のはたらきに関する独自の説を成立させた。さらに『古事記』上巻にもとづく神道説を展開し、他の分野も含めて数多くの著作をまとめた。文化8(1811)年に名を御杖と改めると、『古事記』上巻を教説として説く独自性がさらに強まり、倒語法にもとづいて『土佐日記』や『万葉集』の解釈を行ったが、文政4(1821)年12月に柳川藩から謹責を受けて藩の職を辞することとなり、文政6(1823)年12月に死去した。3.富士谷御杖における言霊説と関係の諸説富士谷御杖の所説は歌論を出発点として多岐にわたるが、ここでは冒頭のテーマ設定に即して最初に御杖の言霊説の内容を検討し、つぎにその前提となるく公〉とく私〉についての説について考察したい。なお、御杖については多くの先行研究がなされている。なかでも今回の発表に際して、発表全般に重要な示唆を与えたものに、池田勉『言霊のまなび』(1940年)、鈴木瑛一「富士谷御杖の思想についての-考察」『日本思想史学』7(1975年)、坂部恵「ことだま一富士谷御杖の言霊論一面一」『仮面の解釈学』(1976年)、多田淳典『増訂異色の国学者富士谷御杖の生涯』思文閣出版(1995年)、がある。論証の各部分について参照したものについては随時参照を表記するが、上の4点については個別の参照以上の示唆を得ているため、ここに特記する。3.1.《心》ということばの意味の広がり御杖の言霊説では、〈心〉のとらえ方がひとつの重要な位置を占めているが、それを理解するためには日本語の「心」が含んでいる意味の広がりについて確認しておく必要がある。ここでは辞典を手がかりとしてその広がりを見渡しておきたい。最大規模の日本語辞典である『日本国語大辞典第2版』をはじめ、日本語の現代語や古語に関する辞典で「心」に関する記述のないものはない。その中でも「心」ということばの持つ多義性を、適切に構造化して説明している例として、ここでは『岩波古語辞典』の記述を示しておきたい。・こころ【心】(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典補訂版』岩波書店、1990年)《生命・活動の根源的な臓器と思われていた心臓。その鼓動の働きの意が原義。そこから、広く人間が意志的、気分・感情的、また知的に、外界に向って働きかけて行く動きを、すべて包括して指す語。類義語オモヒが、じっと胸に秘め、とどめている気持をいうに対し、ココロは基本的には物事に向う活動的な気持を意味する。また状況を知的に判断し意味づける意から、わけ・事情などの意。歌論では、外的な表現の語句や、形式に対して、表現しようとする歌の発想、趣向、内容、情趣などをいう》1.心臓。また、その働き。1.1.心臓。1.2精神の働き。むねのうち。1.3.精根。2.意志のはたらき。2.1.意向。22.意図。2.3.二心。意趣。24志。志操。2.5.望み。3.気分・感情の動き。3.1.気分。心地。3.2感情。3.3.愛情。恋慕の情。3.4思いやり。配慮。3.5.誠意。36気のまま。3.7.機嫌。3.8.気位。3.9.気質。気だて。性質。3.10.風流心。趣味。3.11.情趣。3.12.2わだかまり。4.知的なはたらき。4.1.判断。4.2.心得。43.心がまえ。4.4.注意。用心。4.5.正気。分別。46.あらかじめの想定。4.7.記憶。印象。48意味。49.事情。5.物の中心。また、『日本国語大辞典第2版』では、そのまたがる分野をつぎのように分節化している。〔名〕人間の理知的、情意的な精神機能をつかさどる器官、また、その働き。「からだ」や「もの」と対立する概念として用いられ、また、比噛的に、いろいろな事物の、人間の心に相当するものにも用いられる。精神。魂。1.人間の精神活動を総合していう。2.人間の精神活動のうち、知・情・意のいずれかの方面を特にとり出していう。3.人間にある特定の分野に関わりの深い精神活動を特にとり出していう。4.事物について、人間の「心」に相当するものを比峨的にいう。5.人体または事物について「心」にかかわりのある部位や「心」に相当する位置をいう。以上の記述から、心が臓器としての心臓やそのはたらきから発し、人間の精神活動や気持ち・感情などさまざまな働きを示すこと、また、外に対して人体の内部にあるとともに、そこから外へ働きかけていくものであることがわかる。3.2.言霊説一ことばの性質と言霊のはたらき方一それでは、御杖の言霊説について解説したい。鈴木瑛一の論を参照しながらその全体像を祖述すると次のようになる。御杖は、人のく身〉の内なるく思い〉や欲することは、さまざま外的な状況や条件、制約によって、そのままでの実現が必然的に不可能になると考える。「ひとへ心」(一方に決する心)は、まず神道によって抑制・制御がはかられるが、それをすり抜けたものはいっそう激しくなり、「一向心(ひたぷる心)」となる。これを抑えかねたときに、歌を詠むことが必要になる。歌を詠むことは、「一向心」を慰め、外的な制約にも沿うことを同時に実現するもので、その具体的方法と言語の遅騨ドが「倒語」することであり、「倒語」によって歌に言霊が宿る(鈴木膜-1975: p.79) .御杖による言霊に関する中心的な論説は、具体的には御杖の著書『真言弁』の一節「言霊弁」に見られるが、そこでは次のように順次説明を行っている。言霊とは、言のうちにこもって「活用の妙」をもつものをいう。言に霊があるときは、その霊みずからが言を発した人のく思い〉(「所思」)を助けて、神人に通じ、「不思議の幸」も得る。この言霊の不思議な働きは、人の力の及ぶものではない。霊とは、〈欲していること〉(「所欲」)を行動に移すことはできない「時宜」において、「時宜」にかなわないその困難が大きいので、せめて歌に詠んで「ひたぷる心」を慰めようとする心である。***ここで、補説的ではあるが、「時宜」あるいは「時」について説明しておきたい。「時宜」について、池田勉は御杖においては「広く『時の必然性』を意味する」と理解し、逃れがたい運命、天地自然の現象の必然性、日常の行動における道徳的規範や律令をすべて「時宜」と呼んでいることを指摘する。さらに、「時宜その中に身を置いて従ふくきもの、これに対しては破るべからざる規範、全うすべき絶対的のもの、従って、また抑制的な当為として、御杖のいふ『時宜せんかQUたなき』ものとして性格づけられる」とする(池田勉1940: pp.274-275) .鈴木瑛一はこれを首肯し、「時宜」は実質的に「おほやけなる遇とみてよいとしている(鈴木膜-1975: pp.78-79)。坂部恵は『真言弁』の「時の弁」を読みときながら、現代においても有効な御杖の思索の特色として、いわゆる主観-客観の対立の世界を、主体と他の主体が相互に主体として対立する世界に還元したうえで、そこからの分節のダイナミズムを構造づけて理解している点を指摘している。坂部の思索は複雑であり、ここで私が十分に説明することは難しいが、坂部の論を導き糸としながら、「時宜」の意味を理解するのに必要なかぎりで、「時の弁」で展開される論説を追っておきたい。御杖は次のように論じる。歌に「時」があるのは、「ひとへ心(一方に決する心)」の末であり、「ひたぷる心(神道の抑制をぬけた「ひとへ心」〈池田勉1940: p.277> )のをはり」である。つまり、これまでのわがく思い〉をあらため、わがく欲していること〉を捨てるべきことに遭遇するのが「時」である。これを詳しくいえば、「時」には「彼」と「我」がある。「我」は、いままで置かれた状況(所置)と異なってきた心のあり方(情態)である。「彼」とはわがく思い(所思)〉と異なる事物(異なる対象)である。わがく思い〉から見れば、「我」もまた「彼」(=対象)である。「我」でも「彼」でも、わがく思い〉に従わないことがあるのが「時」と言うと心得てほしい。以上ような御杖の論は、独特な用語法などによってすぐに理解することはなかなかできないが、わがく思い〉が一次的なできごとであって、そこから起点である「我」と対象である「彼」が析出すると考えると、その構図が少し見やすくなる。わがく思い〉に「我」が従わないこと、またわがく思い〉に対象が従わないこと、これらが生じた場面が「時」だというのである。***さて、言霊説の本論に戻りたい。御杖の論は以下のように続く。〈欲していること〉を行動に移すことはできない「時宜」に、せめて歌に詠んで「ひたぷる心」を慰めようとする心から歌が出てくるので、「時」がやむをえないことと、「ひたぷる心」(目的・目標に対して一途な心)が抑えられないことの両者が、言のうちにおのずからとどまって霊となるのである。言における霊の有無は、「時宜を全うする」ためのものかく欲していること〉を達するためのものかの違いである。歌も、「公身」と「私心」が遭遇するあいだに霊が出現して、ことばの道が絶える時宜も感通させる妙用がもたれる。これはもっぱらく欲していること〉のために「時宜」を破るまいとする心から出るものなので、〈欲していること〉にまかせて行為することは決してあってはならない。以上が、「言霊弁」にあらわれた御杖の言霊説の概要である。本節の冒頭でも述べたが、御杖において、人のく思い〉は、外的な状況や条件、制約などによって、実現不可能となることが前提とされる。御杖においては、人の(他人が知ることのない/秘められた)心(言「私心」)とそれを他人が知ること、あるいは他人に開示されることに強い関心があり、「言霊」や「神」はそのプロセスを考える上での重要な概念として用いられている。もちろん、秘められた心や思いはそのままの形で外へと出されるわけではない。末尾で登場する「公身」と「私心」の対置も、そのような文脈で理解すべきものである。これは、より詳細にみれば、公と私、身と心がそれぞれ対置され、公と身、私と心が重ねられている。日本語の「身」ということばには、大きく名詞としての用法と代名詞としての用法があるが、名詞に限定しても、前掲『岩波古語辞典』によれば、(1)人や動物の肉体。身体。(2)わが身。自分。(3)身の上。身分。(4)命。(5)《皮に対して》肉。(6)刀身。(7)なかみ。内容。(8)ふたのある容器の、物を入れる方。(9)味方。という多様な意味がある。これらのうち、ここで御杖のいう「公身」の「身」については、(3)の意味が該当する。(3)の場合4の「身」は、自分の外側である国家や社会の側からの要請や制約といったニュアンスを帯びており、御杖が「公身」という場合にも、そのように国家や社会、世間などからの要請によって決まってくるような「身の上」が想定されている。英語では、one's position-tone's placeと表現するような意味である。同時に、身は心と対置されて、(1)肉体・身体の意味を持つ。この場合はsoulと対置される意味でのbodyに該当する。つまりく身〉は内部空間をもつ容器のようなものとして構想されている(富士谷御杖『百人一首燈』、鈴木膜-1975、坂部恵1976)。国家や社会、世間などく身〉の外部であるく公〉に対してく身〉は自分を示すものであり、他方、〈身〉の内部はく私〉であり、そこには心が含まれている。御杖が「私心」と「公身」を対置するときには、このような構図が前提にあり、〈公〉とく私〉、〈身〉とく心〉の間の葛藤の相に注目している。「公」と「私」の対置は、御杖がさまざまな著雪でくり返し示しているが、それは心や思いが、自分のく身〉の内である『私」の領域にありながら(富士谷御杖『百人一首弁』)そのままでは外に出せず、「公」として外側から見たく身〉からは、異なる形で表出すぺきものである、という構図のなかでの対立項である。3.3・御杖の神道説と他の神道説との関係御杖において、歌に至る以前に「ひとへ心」を制する手段とされた神道であるが、それはどのように考えられていたのか。以下、その内容を検討していきたい。御杖による神のとらえ方については、『古事記燈大旨』内の「神人弁」に基本的なことが示されている。その要点は以下の通りである。人は神を「身内」に宿すものの名であり、神は人の「身内」に宿ったものをいう。人の「身内」には理と欲があり、欲をつかさどるのが神であり、理をつかさどるのが人である。もともと理は尊く欲は卑しいので、人は理を貴び、欲をいやしむ。そのため、人は諸欲を制し理を全うすることに急である。しかし、よく勉められる人はまれで、欲のために理を侵す人がたいへん多い。それゆえ、勉められない人を愚と称し、かしこく勉める人を賢と称する。このことは世に交じる人は誰も避けることができず、これを人道という。しかし、勉める人もつねに憂うのはこの[欲をつかさどる]神なる存在であり、とても取り扱いに苦しむものである。取り扱うためにいろいろな教えはあるが、神は性を改めないので、人力で制することはもともと不可能である。これは神がもともと地の重濁である性を受けたことによるので、人の私(自身のこと)ではない。そうならば、本当に方法がないかといえば、神の道を尽くせば必ず妙事を生む母となるので、「わが御教」はこの神の道を尽くさせることをもっぱらとしている。それゆえ、ただこの神の道に乗っていくべきなのに、これとは別に人事に是非を立てて、人の内なる神道を押さえつけようとするのは、末より本を制することであって、結果の出ないことである(富士谷御杖『古事記燈大旨』「神人解」〈『新編富士谷御杖全集』1: pp.67-69> )。以上のように御杖は述べている。このような神に関する御杖の説のなかで第一に注目されるのは、彼が神を人に内在する存在としてとらえている点である。ともすると特異性がいわれる御杖の神道観であるが、人に内在する神を考える点は、むしろ中世以来の神道思想の主流と共通している。〈神が人ないし人心に内在する〉という考え方は中世の両部神道に始まる。以下、伊藤聡の整理に従って、中世からのこの系譜をおおよそ追っておこう。まず、鎌倉期に成立した初期の両部・伊勢神道書のなかに、宇宙・世界の根源神である神が人の心中に宿るものとする理騨Fが見られる。これらの心神観念には「煩悩にまみれた我が心の姿としての神」という意識が含まれており、具体的・肉体的なイメージを伴っていた。つづく吉田神道の吉田兼倶(1435-1511)も著作のなかで「神は心なり」ということをしばしば強調する。それは両部神道などの視点を継承したものであるが、そこに見られた煩悩にまみれたネガティヴな神の意識は欠落しており、心なる神は全面的に肯定されている。一連の中世の神道説において、元来人間の外部にあった5神が人に内在するものとして把握されるようになったのである(伊藤聡2012)。近世になると、儒家が神道の理解を進めるようなる。例えば、林羅山(1583-1657)は、朱子学の理気説にもとづいて神は理であり、神霊であると説いた。山崎闇斎(1618-82)も朱子学における「理」の概念を神道の「神」と結びつけ、さらに吉田神道や伊勢神道などの伝授をもとに、人に内在する神のあり方を独自に考えた。このような中世から近世中期にかけてのく人に内在する神〉という流れに対して、これらを否定したのが本居宣長(1730-1801)である。宣長には有名な神の定義、すなわち「さて凡て迦微とは、古への御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を記れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其の余何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり」(本居宣長『古事記伝』3〈『本居宣長全集』9: p.125> )がある。ここでは一見アニミズムのようにありとあらゆるものを神と認めているように理解されがちであるが、注意深く読むならば、「尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物」が神なのであり、全ての人を神として認めているわけではない。また、闇斎の天人唯一の説についてもこれを否定しており、人の心に神が内在するという考えからは大きく隔たっている。これらと比較して御杖の神観念をとらえるならば、それは両部神道や伊勢神道の心神観念と近いことがわかる。神を心に内在するものとして考える点が共通しており、御杖は理と欲を対置して欲をつかさどるものとして神を考えているが、それは両部神道などが神に煩悩にまみれた性質を見ていたことに通じる。近世を中心に、朱子学との関係で神道をとらえるなかで理と神が結びつけられたわけだが、御杖は皆川漠園に親しく学んでおり、そのような儒学における神観念を理騨Fしたうえで、あえて欲のほうを神と結びつけ直したとも考えうる。神をとりまくコスモロジーについても、御杖は特徴ある理解を示している。自筆稿本『古事記燈巻之一』(『新編富士谷御杖全集』1: p.607)では18,19歳の頃だったか、「神典」を初めてみたときに津沌からの天地開開について疑問を抱いたと回想しており、のちの著述でも折にふれて具体的な疑問を呈している(多田淳典1995: p. 162)。この点も宣畏とは対照的である。宣長は『古事記』の記述を神代の事実そのままであると理解し、それゆえ『古事記』の記述にもとづく世界像を神の存在する場所や営みを含む形で把握し、服部中庸はこれをもとに世界生成の様子を図像化した。篤胤は宣長や中庸の所説に一部異議を唱えて、『日本書紀』の一書に「顕露」と対比的に記された「幽冥」を、神や死後存在の実体的な世界と同定した。これらに対して、御杖はかなり異なる構図のなかでの理解を示している。御杖は次のように説明する。顕露は天地が向き合う間に存在する人の見聞きできるところを指し、幽とは見聞きできないところを指す名である。天地の東西の極の人の見聞きできない場所にあって昇降する二つの気がある。このうち降りるのが天神であり、昇るのが地祇である。これを押し込めるのが神道という。この二つの気は人の体内にかよって呼吸となる。これは、人の体内の「虚間」と天地の「虚間」が同じものである証拠である。そうであれば、神や神の道も、人の体内にかようとともに天地を往来するので、天地の神を天神地祇と説かれるのである。人の上の幽と顕についていえば、おおよそ公(おおやけ)なることは顕であり、私なることは幽とすべきなので、神祇は(幽であるので)、人々の私思欲情がこれである。すべて人の私思欲情は、人道の理より優位に立つことはできないので、深く胸のうちに込めて、密かに行い、他の見聞を恥じること、これが幽を所在とする証拠である(富士谷御杖「神祇弁」『古事記燈はしかき』〈『新編富士谷御杖全集』1:pp、95-96> )。朱子学正統の理気説とは言いがたいが、まず気と天神地祇を結びつけて把握している。そして、この神である気が人間の体に通って呼吸となるという。さらに「顕露」と公(おほやけ)と人道を重ね、「幽冥」と神と人々の私思欲情を重ねて理解する。御杖において神は一貫して私的な領域に関するものとされるのである。4.小括一御杖の言霊説から見えてくるもの-6以上、御杖の言霊説と神道説について、その特徴〔を検討してきた。従来の研究において必ずしも強調されてこなかった点を中心にふりかえり、小括としたい。御杖の言霊説は、現代における思想・哲学や言語論・記号論などとの関係において注目されることが多かったが、それが創出された18世紀末から19世紀初頭という時期に注意するならば、近代的自我についての言説がさかんになる以前に、〈私〉または私のく身〉という、ある意味で個人の内面に類するような領域を設定していた点が注目に値する。わがく身〉に生じた思いやく欲〉は、そのままく身〉の外へと出してはいけない。まずはく欲〉をつかさどる神がこれを慎んだり制したりし、それがかなわないと歌に詠むことになる。このとき、歌のことばは思いを直接述べるものではなく、表現のなかに直接表されない思いが込められることになり、そのことばに言霊が宿る。ことばの働きののなかに、あるものを指示したり、ことがらを直接的にあらわしたりすること以外の機能を認めた点はすでに評価されてきたところであるが、これに伴って神を人のく身〉の内でく欲〉をつかさどるものとした点が注目される。このく欲〉がく理〉と対置された点も朱子学との関係からさらに考える必要があるだろう。御杖のいうく身〉の内をく私〉、〈身〉の外をく公〉ととりあえず置き換えるなら、こここに、神はく公〉に属するか、〈私〉の領域に属するかという問題が浮上する。宣長や篤胤、彼らにその後継者たちが考えた神は、第一にはく公〉の領域における働きを期待され、そのうえでく私〉との連絡を必要とする存在であった。例えば、国家の中心におかれて人々の心のよりどころとされる神、地域の秩序を「再建」する紐帯としての産士神、あるいは氏神などが考えられる。これに対して、御杖の考える神はく私〉の領域に深く関わる。篤胤と御杖とほぼ同時代にこれほど対照的な神観念が考えられていたのは興味深い。今回の発表では、御杖の論説の内容と同時代の社会のあり方の具体的関係までは論じることができなかった。この点については今後に期したい。文献一次文献●三宅清編『新編富士谷御杖全集』全8巻、思文閣出版、1979-93年。『本居宣長全集』9,筑摩書房、1968年研究文献・池田勉『言霊のまなび』子文書房、1940年・磯部忠正「富士谷御杖の「神」」『哲学会誌』1,1弱9年・中井信彦「冨士谷御杖における神道と人道一思想の自律性によせて一」『哲学』58,1971年●鈴木瑛一「富士谷御杖の思想についての一考察」『日本思想史学』7,1975年(「富士谷御杖の思想」として鈴木瑛一『国学思想の史的研究』吉川弘文館、2002年、所収)●坂部恵「ことだま一富士谷御杖の言霊論一面一」『仮面の解釈学』東京大学出版会、1976年(『坂部恵集』4、岩波書店、所収)・多田淳典『増訂異色の国学者富士谷御杖の生涯』思文閣出版、1995年●遠藤潤『平田国学と近世社会』ペリかん社、2008年7

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